徒然に思いついたことを・・・
by f-liberal
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カテゴリ:社会( 61 )
ある程度、漢字を知らんとな
 昨日は、元ボクシングの世界チャンプ・輪島功一さんがインターネットの番組に出演し、冤罪事件で死刑判決を受けている袴田巌さんの支援のことを話すというので、21時半から当該番組を約2時間に亙って観ていた。

 相変わらず輪島さんの話は面白い。ふざけているようでいて、しかし含蓄のあることを言う。

 それはそれで非常に楽しめたのだが、MCを務めていた女性タレント?がちょっと頂けなかったな。流されている番組の横に、輪島さんへの質問を書き込む欄があって、それを読み上げたりするのだが、ごくありふれた漢字をちゃんと読めない。輪島さんの隣にいた番組ホスト?のボクシングトレーナーの人に助けてもらっている始末。MCを務めるのであれば、ネットに掲出される「普通」の漢字くらい読めるようにしておいて貰いたいものだ。尤も、一朝一夕には難しいだろうがね。これまでの蓄積が物を言うからな、こういう知識は。
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by f-liberal | 2006-08-27 10:25 | 社会
歴史に刻まれる愚かな男
 最後の最後まで空疎なパフォーマンスと勝手な思い込みに支配された男でしたな、米国のポチこと小泉純一郎は。こんな奴をありがたがっているアホな国民が多数いるこの国は、早晩滅びるんでしょうな。
 上には上があると言うが、下には下があるな。自民党の歴代首相の中でも、小渕あたりで最低かと思ったら、森という更に評判の悪い奴が登場し、さらに人気だけはあるが、日本の米国への属国化を強化し、周辺諸国との関係を悪化させ、国内においてはささやかな生活を維持してきた人々の生活を破壊するというでたらめな政治を行ったクソ野郎である、小泉純一郎は。
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by f-liberal | 2006-08-15 20:13 | 社会
滋賀県知事選挙
 滋賀県知事選挙で、友人が応援していた新人が当選した。
 県民にとってまともな行政運営をして貰いたい。
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by f-liberal | 2006-07-03 14:16 | 社会
アメリカ産牛肉
 またまたアメリカ産牛肉を輸入再開するらしいな。アメリカのポチ小泉クンの訪米土産だろうか。

 薬害エイズ・薬害C型肝炎等々、同じ誤ちを繰り返すこの国の民は、今度は10年後くらいに、ヤコブ病患者発生で国の責任云々がまた問題にならなければいいがね。
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by f-liberal | 2006-06-23 22:56 | 社会
ゴミを拾う人と糞な奴
 夕方、赤信号で停車していた時のこと。
 犬を散歩に連れている中年の男性を発見。犬の糞を拾っているのかと思ったら、道端に落ちている煙草の吸殻やゴミをぽこぽこ拾っていた。偉い人だ。
 それに引き換え、俺の車の駐車場近辺に、犬の糞をそのまま放置していく奴。だいたい夜に犬を散歩に連れて来て、そのまま糞を放置していくんだな。糞だな、そいつが。
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by f-liberal | 2006-06-12 19:38 | 社会
転載紹介 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの
転載紹介 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの

 華氏451度さんからトラックバックを頂戴した。当該記事の内容に対する意見は措いておいて、とりあえず、「拠らしむべし、知らしむべからず」に関する論考を転載し、紹介する。

 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの

 
 新聞をはじめ多くの人(緻密な調査をする司馬遼太郎ほどの人ですら)は、上記の言葉を次のような意味で使っている。「お上(政府)は本当のことを隠して、政府官僚が決めたことを人民に押しつけ従わせている」と。厚生省の薬害エイズ事件、最近の過大請求返還にかかる不正減額(背任)で防衛庁ぐるみの関係資料隠しなどの事件があると、決まってこの言葉が浮上する。しかし実は、この語法は完全な誤りである。

「論語」泰伯篇にあるこの言葉の正しい意味について、沢登先生に調べてもらい真意味をお聞きした。

   民可使由之   民ハ之ニ由ラ使ム可シ
   不可使知之   之ヲ知ラ使ム可カラズ

「之」とは、「王者設教(為政者が人民に示す教え)」(鄭玄の古注)、「理之当然」(朱子<朱熹>の新注)、「政教」(安井衡<息軒> の集注の案)、「礼法」(服部宇之吉の校訂)、「政治・法律」(同人の訳注)などと書かれているが、孔子が「為政者の務めは『仁』即ち一般意思を理念として礼法を定め政治を行って人民を教え導くに在る」と言っているのだから、「之」とは「仁」を指すと考えるべきだろう。いずれにせよ、各注のどれを見ても、仁(もしくは政教、礼法など)を「知らせる(明確に認識させる=自覚させる)」ことは不可能だが、「由(よ)らしめる(知らず知らずそれを踏み行うようにさせる)」ことはできるということである、としている。

 また、程子(程頤)は、「聖人は教えを設けるに際し、人をして家ごとに喩(さと) り、戸ごとに暁(あきらか)なることを欲しないわけではないが、現実にはなかなかそうは行かなくて、ただ教えに由らしめることができるだけだ。もし聖人が人民に知らせないのだと言うならば、これは後世の『朝四暮三之術(*)』である。どうして聖人の心であろうか」と述べている。

 誤った語法は「由」を「拠」とし、「可・不可」を「可能」の意味ではなく「命令」の意味と誤訳したためであるが、そのような誤訳をした背景には、市民社会の形成と民主主義の成熟が不十分な日本社会にあって、官僚政治支配に対する貧困な批判精神と変革実践の怠慢という自分たちの限界を直視しようとせず、この語を誤って使用することによって社会を嘆息してみせ、自らを慰めることに終始してきたという事情があるのではないか。

 宇宙超出学に当てはめて言うならば、「この思想の根本義をすべての人一人ひとりに深く理解してもらうことは不可能だが、この思想に基づいて法政経済の仕組み(政)と倫理宗教(教)を改革することにより、知らず知らずのうちに人々がこの思想の意とするところを実践するようになってもらうことは可能だ」ということになるかも知れない。

(*)朝四暮三之術:宗の狙公が猿の食餌を制限しようとして「栃の実を朝三つ暮れに四つやろう」と言って猿を怒らせた後に、「では朝四つ暮れに三つやろう」と言って猿を喜ばせた、という話から、詐術を用いて人を己の意に従わせる権謀術数のこと。

出典:高見優著、宇宙超出第9号、1998年10月15日、宇宙超出学会発行
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by f-liberal | 2006-03-17 00:09 | 社会
国策捜査との指摘もあるが・・・
 ライブドアの堀江社長らが逮捕されたと報道されている。テレビ朝日系列とNHKは特別番組を放送しているようだな。

 ライブドア捜査は、何かの目くらましのための国策捜査ではないかとの指摘が様々なブログでなされているようだ。まあ、証券取引法違反の被疑事実の存否の程は、俺は分からん。ただ、ライブドア本体の粉飾決算がどうのこうのと言われている件については、一般論として、粉飾決算は違法ではあるが、あちらこちらの会社で実際には行われていることだろう。ライブドアだけが殊更血祭りにあげられること自体が、何らかの意図を持った捜査との疑念を誘発する理由である。

 断っておくが、俺は、堀江社長のキャラクターや言動は大嫌いである。彼は、拝金主義の腐臭は感じさせるが、企業活動を通じた社会貢献などの理念は微塵も感じさせない。いわゆる「仕事」という内実のあるものを感じさせないのである。企業買収、株式分割などの技術を駆使して、資本の増加を図っているだけであって、汗水垂らして「仕事」をしている感じが全くないのである。

 そういう観点から言えば、ざま~みろと言いたくもなるが、嫌いな奴だからどうなってもいいというのは、品性下劣であり不当なので、そうは言わないでおこう。

 マスゴミは、相変わらず「ゴミ」であるので、『堕ちた寵児』などの情緒的な見出しで報道している。明確にしておくが、逮捕とは、単に捜査当局が刑事事件の被疑者の身柄を拘束する行為に過ぎない。被疑事実が、真実であるか否かも不明であるし、ましてや起訴もされていなければ、公判も開始されていない。その段階で、相変わらず、「推定有罪」どころか「断定有罪」報道を繰り返すメディアは「ゴミ」としか表現しようがないだろう。つい先日まで、「ホリエモン、ホリエモン」ともちあげていたのは、どこの誰だ。マスゴミお得意の掌返しで、早速、「堀江容疑者」になって、一層バッシングが展開されるのだろう。

 まあ、ホリエモンは大嫌いだが、被疑事実の真偽は俺には分からないので、事態の推移を伺うことにしよう。国策捜査でライブドア潰しに来たということであれば、逮捕された堀江社長その他は、公判において自らの主張を展開して貰いたい。

 とりあえず、特別番組を報道する程のこともないと思うのだが、こういう目くらましの間に国会で「共謀罪」その他の悪法が成立させられないよう監視しよう。
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by f-liberal | 2006-01-23 20:46 | 社会
報道にもうちょっと配慮が・・・
 今から6年前か?早いなあ・・・時間が経つのは。

 1999年暮れ、あるNGOでご一緒していた人から路上生活者(所謂、ホームレスの人々)の夜間巡回をやりませんかと誘われた。じゃあ、やりますかということで、結局、同じNGOでご一緒いている仲間の4名で初めて駅周辺などの巡回を行った。それがきっかけとなって、地元に路上生活者の支援をする団体が立ち上げられ、様々な人達が関わるようになって今日に至っている。

 俺は、巡回の行われる毎月第2金曜日の夜間は、何かと用事があったり、まあ巡回メンバーも増えたから無理して行かなくてもいいかという感じで、巡回自体には最近はあまり行っていない。まあ、たまに行われる炊き出しの手伝いに行く程度だな、最近は。

 でも、気遣いしてくれる人もいるもので、俺がよく行くフリースペースの喫茶店のボランティアスタッフをしている人は、お米を年末になると寄付してくれる。実家が農家をやっていてお米が手に入るからだ。2週間程前にも戴いたので、支援団体の活動場所に利用させて貰っている教会へ預かって持って行った。自転車の前かごに積んで、ふらふらしながらゆっくりと走って行ったのだが(笑)。また、今週金曜日くらいにお米を戴けるようだ。ありがたいことだ。おそらく年末年始に炊き出しが行なわれるだろうから、それに使わせて頂く事になるだろう。

 この団体は、新聞・テレビなどでも度々取り上げられ、最初に俺達に、やりませんかとの声をかけてきた団体の事務局長をやっている人が取材に対応したりしている。数日前に、夜間巡回の際に地元テレビ局が取材の為に付いて回ったとの連絡を貰った。「取材の仕方に??ということもあったが、夜中の1時頃まで熱心に取材して行った。」との事だった。どこの局だろうと思っていたところ、昨日のローカル番組の特集の中でその様子が報道されていた。まあ、路上生活に至る経緯が様々あること、当事者の人達も好き好んで路上生活を送っている訳ではないこと等、限られた放映時間の中では不十分ながらも一応ちゃんと報道してくれていたとは思う。事務局長も放送中の生電話で質問に答えたりしていたしな。但し、インタビューに応じた元路上生活者の顔と実名をそのまま報じてしまった点については、配慮を欠いている。その点は困ったものだ。

 年末年始の炊き出しには、また手伝いに行くかな。その前にまた米を運ばなきゃならんな。自転車の前かごに乗っけて行くと、転びそうになって大変なのだが(爆)。
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by f-liberal | 2005-12-14 15:52 | 社会
無邪気な言葉
 「優しい。大好き。優しい。大好き。優しい。大好き。」
 「顔、かわいい。顔、かわいいでしょ。皆、そう言う。」

 先日俺も参加したコンサート&クリスマス会を主催したフリースペースへ週に何回か通ってくる知的ハンディキャップを持つ20代半ばの女性(Hさん)の言葉。

 数年前から、お母さんと一緒にたまに来ていたので、お母さんとは時折会話することもあった。ところが、1年程前に、お母さんが急逝されてしまった。彼女の面倒はお母さんが付きっ切りで見ていたらしく、お父さんと彼女が残されてしまって、今後どうしようかということで、特定の曜日に、ヘルパーさんにフリースペースまで連れてきて貰って、後は、フリースペースの仲間やボランティア、スタッフの人達と一緒に過ごすようになった。

 最初の頃は、半泣き状態で、いつも「お母さん、死んじゃった。」を繰り返すばかりで、なかなか周りの人達と意思疎通を図ることができなかった。しかし、いつの頃からか大分落ち着いてきて、知った顔の人達とは会話が成立するようになって来た。今では、すっかりフリースペースにも馴染んで過ごしている。俺の顔を見かけると、「ああ!」と言って手を上げてニコっと笑う。

 「優しい。大好き。」は、彼女の面倒を非常によく見てくれる青年に対する言葉である。彼もまたフリースペースに随分昔から通っていた青年である。今は求職中のため、時間のある時に、フリースペースへ来ては色んな人達の相手をして過ごしている。傍から見れば、どこにでもいるごく普通の今風の青年である。結構、格好よくて異性にももてそうな感じの青年。しかし、内面は非常に繊細で悩み多き青年でもある。だからこそ、フリースペースへ通うことになったのであろうが。

 Hさんは、昨日、なぜか俺にお弁当の中に入っていた柿をくれた。もうお腹が一杯で食べられなかったのか、俺が欲しそうな顔をしていたからか、分からないが(笑)。

 「食べちゃっていいの?」と聞いたら、「うん」と頷いたので食ったら、無性にはしゃいでいたな(笑)。何が嬉しかったのだろうか?(笑)

 ここに集う不登校生、ハンディを持った青年、悩み多き青年、皆繊細で傷つきやすいがゆえに、殺伐とした社会に馴染めないでいる。傍から見れば、今時、珍しい好青年で礼儀正しい、優しい人が多い。こういう性質だから弾かれてしまうとしたら、今の社会がおかしくないか?

 彼ら・彼女らと接する時には、俺も本当に気持ちの落ち着く時間と空間を与えられる。仕事の場面やその他の社会生活では、人を陥れたり、騙したり、妬んだりといったギスギスした事柄がゴロゴロしている状態で緊張を強いられるが、ここでは安心して、そして、信頼して時間を過ごすことができる。

 先のクリスマス会の最後の挨拶として主催者の方が次のような趣旨のことを仰っていた。

 「全ての人達は、皆、大きな愛に包まれています。それに気付かない人々もいるかもしれませんが、私はそう信じています。少なくとも、そう信じる人達がここにはいるということを覚えておいて下さい。」

 主催者の方は、俺の10数年来の友人で、素晴らしい人格の持ち主だ。俺の数少ない尊敬する人物である。決して世間から脚光を浴びることもなく、経済的には常に苦しくとも、自分の為すべきことを自覚して、淡々とその為すべきことを為そうとし、そこへ集う青年達を暖かく受け入れ、見守っている。

 俺は、そういう人達が無性に好きである。そういう人達の周りにはまたそういう人達が集まってくる。そこで、色んな素晴らしい人達と接する機会を得ることができる。ああ、先のクリスマス会では、ある冤罪被害者の救援活動を一緒にやっている仲間の奥様と偶然お会いした。身体のハンディキャップを持つ人達の作業所をやっていらっしゃると言うことで、そこのメンバー二人を連れて参加されていた。う~む、気さくで良い人だ。やっぱり、あの人の奥様だけのことはある。やっぱり、人間と言うのは、個々の属性は違えども、本質的な部分では同じような性質の人間を自分の周りに惹き付けるのだろうか。逆に、本質的な部分が異なる人間同士では、本当に安心・信頼した付き合いはできないのかもしれない。まあ、何が本質かは見極めたり確認したりするのは難しいから、感性によるところが大きいかとも思うが。

 社会全体から見れば、そういう人達は少数かもしれない。また、フリースペースに通うような青年達に対しては、社会の偏見やレッテルが多いのかもしれない。

 しかし、俺は彼ら・彼女らの人間性には心惹かれるものがあるし、好きなんだよなあ。

 だからこそ、逆に、彼ら・彼女らが弾き出されるような社会のあり方に疑問と怒りが沸くのである。それを少しでも改善したいとの思いで、様々な活動に身を置いている訳である。そこで出会う人達も同じ思いを共有できる人達が多い。大変なことも多いが、そういう人達が好きだからやっているということも多分にあるな。

 そういう思いがあるからこそ、妙な偏見やレッテルで、知ったようなことを言う奴らには怒りも沸く。仲間のことを知りもしないで、つべこべ言う奴らにも俺のことを言われるよりも怒りが沸く。

 センスの違った人間同士が理解し合うのは、非常な努力と根気が必要だが、人間同士の付き合いの密度が薄くなった今の社会では難しいな。難しいからといって諦めるとかいう話ではなく、俺は俺の感性で、自分が正しいと思うこと、自分にできることを愚直に続けるつもりだ。同じ山の頂を目指すにも、ルートは幾つもあるだろう。自分にあったルートで登ればいい。ルートが違うから、あっちは駄目だ、どうだという必要はないだろう。俺はそう思う。

 まあ、それもセンス如何で、結論は変わるだろうが。

 熱いけれども不器用で、これじゃいかんと思いつつも、どうしたらいいか分からなくて、だからと言って何もしないという訳にはいかなくて、うまくいかねえなあと自覚・葛藤しながら、周りの人間からは冷ややかに見られつつも、それでもそうしたい、せざるを得ない・・・という奴らが俺は好きなんだよ。

 まあ、このシンパシーは俺固有のものだから、単にそういうことというだけの話だが。
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by f-liberal | 2005-12-13 13:54 | 社会
改革ファシズムを止めろ!
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by f-liberal | 2005-10-19 12:37 | 社会