徒然に思いついたことを・・・
by f-liberal
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橋田信介さん死亡か?

 大変気になり残念なニュースが駆け巡っている。ジャーナリストの橋田信介さんがイラクで攻撃を受け死亡した模様とのこと。最近では、イラク人質事件の「自己責任」云々が喧伝された際に、テレビ出演してジャーナリストの真髄を語っていたが。
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by f-liberal | 2004-05-28 23:04 | 気に留めた記事
無常
 日朝首脳交渉が終了したようだ。結局、拉致事件については、二家族の子供達が日本へ来ることになったようだ。

 小泉首相は、家族の「帰国」と発言していたが、来日する子供達にとっては「帰国」ではない。彼らは、北朝鮮で生まれ育ち、おそらくその国の人民であると当然のように思い生活してきたのだろう。彼らにしてみれば、未知の国への「出国」である。

 まだ、幼稚園や小学校の低学年くらいの年代なら順応も早いだろうが、20歳前後の年齢になって突然、国家間の因縁・思惑で、自らの自由意思によらずに生活の本拠を移転させられるというのはあまりにも無常ではないか。

 現在では、日本語は喋れないのだろう。拉致された当事者にして見れば、自分の故郷へ帰ってきた訳であるが、子供達にしてみれば、全く知らない国へいきなり放り出されたようなものだ。勿論、両親その他家族及び社会の受け入れ準備があるにせよ、当面は日本社会の中でマスゴミその他の好奇の目に晒されることになるだろう。果たして日本社会にうまく適応していけるだろうか。それが心配だ。来日後しばらくは、社会の関心も高く、温かく迎えられるだろうが、社会的関心が去った後の彼らの置かれる状況がどうなるだろうか。今の日本社会は、他者に対する共感、優しさが欠落していると思う。時間が経つにつれて彼らに対する関心が薄れ、後は「自己責任」「自助努力」でなどと社会から突き放されて、生活上の窮地に追い込まれなければ良いが。

 いずれにせよ、国家その実態は国家権力保持者である生身の人間であるが、過去から現在におけるそいつらの思惑で、人生を狂わされる人達の無常を思わざるを得ない。
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by f-liberal | 2004-05-22 19:47 | 社会
長期勾留――ビラ配りで75日とは
朝日新聞5月21日付社説
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by f-liberal | 2004-05-21 18:49 | 気に留めた記事
真実はゆっくりと
 「真理は世に入れられず」とはよく言われることだ。次の言もどこの誰が言ったか書いたか知らないが、事実だろう。経験則上。
 「嘘はあっという間に広がる。されど、真実はあとからゆっくりと明らかになる。」
 大メディアが政府広報機関に堕した今日、メディアリテラシーを身につけることと前述の言を肝に銘じたい。
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by f-liberal | 2004-05-21 00:07 | 告知・雑感・その他
厚い本を読む集中力が・・・
 最近、厚い本が読みきれない。短い随想や評論は読めるのだが。集中力が続かないのだ。齢を重ねたことによる体力の減退が影響しているようにも思う。何にせよ、いかんいかん。1日何ページと決めてでも、じっくりと通読・読了せなあ。
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by f-liberal | 2004-05-19 22:26 |
田中真紀子曰く
 11日のNEWS23で田中真紀子へのインタビューを放映していた。途中から見たので全ては分からない。最後にメディアのことに触れて、曰く・・・。

 「人質にされた人の喉元に刀が突きつけられたり、髪をこうやられたりしたのは、自主規制なのか国民に刺激を与えてはいけないと思ったのか・・・。海外では報道しているのに、NHKをはじめ民放までそれを報道しない。これは政府寄りなんですよね。危ないと思いました。」

との趣旨の発言をしていた。

「国民に刺激を与えてはいけない」と言うのは、単に刺激的な映像をお茶の間に流すのは衝撃的で良くないとう意味ではない。衝撃的な映像に国民が刺激されイラク戦争の実態への国民の関心が惹起され、小泉政権批判へと繋がったらいかんという意味だろう。

大メディアは、意識的か無意識的か知らんが、国民に実態を知らせないことによって権力者の権力基盤を支えているということだ。

まあ、読売・サンケイは意識的だろうが(失笑)。

ちなみに、日本では報道しなくても海外の報道機関のサイトでは全部流していたのでそれを見た人もいたことだろう。こういうのは、ネットの利点だね。もっとも、海外サイトまで見に行く人は相応の関心なり問題意識を持っている人だろう(野次馬もいるだろうが)。多くの国民は、国内での映像しか見ていないだろう。そういう意味では、国内メディアの影響力は大きい・・・。まことに、マスゴミ問題は重大だ。
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by f-liberal | 2004-05-15 00:57 | 気に留めた記事
宮内庁内いじめ?
 皇太子が何かの記者会見やってましたね。「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことは事実です。」との趣旨の発言をしていた。
 何だ?宮内庁内のイジメか?
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by f-liberal | 2004-05-15 00:55 | 気に留めた記事
年金未納がおかしな方向に
 ニュースキャスターの誰それも国民年金に未加入だったとか、未納だったとか、話が国務大臣・国会議員から民間人にまで及んできている。話を拡散して、「お前も払ってないんだから同じようなもんだろう。批判できんのか?」という低レベルなことになってきているのではないか?
 今後の年金制度はいかにあるべきかという本質論を見失うことがないようにしないといけない。この騒動に紛れて、年金改悪を目論む官僚達の思惑通りになってはいけない。
 それから、ニュースキャスターが年金未納で謝罪とかいうニュースが流れているが、いったい誰に謝ってんだろう?国会議員は立法府の一員としての責任、そしてまさに今、年金関連の法案を審議しているという職責と関連して、国民年金未納の責任を追及されているのだろうが、ニュースキャスターは何がどうなんだ?国民年金を未納している連中は皆謝罪しろ言うことか?誰に謝罪しろつーの?
 誰か教えて頂戴な。
 
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by f-liberal | 2004-05-14 22:09 | 社会
権利と義務
 chitose_sawagiri さんからトラックバックを頂戴しました。権利と義務の関係がいまひとつしっくりこなかったようです。そのエントリーを拝見したところ、日常生活その他に関わる法・道徳・倫理などの「規範」と権利・義務関係を混乱されている感がありますが、「規範」については暇があったら別に論ずるとして、権利・義務関係について整理したいと思います。ちなみに、sawagiriさんのエントリーにコメントさせて頂こうかと思いましたが、長くなりそうなのでこちらでエントリーを立てます。

 私が例に挙げた消費貸借契約は講学上、「要物契約」と言いまして、契約当事者の意思表示の合致の他に目的物の引き渡しを成立要件とする契約です。つまり、契約者間で「物の返還約束の合意」と「物の引き渡し」がなされて初めて契約が成立します。その契約が成立することによって発生する権利関係は、私が例示した「金を返せ」という権利(債権)と「金を返さなければならない」義務(債務)のみです。つまり、理論上、金銭消費貸借契約は貸主が借主に金銭を引き渡して初めて成立するものであって、成立した時点では金銭の授受は完了しています。もし、金銭の授受がなされていなければ契約は不成立ですから、権利義務は発生しようがありません。

 以上をまとめると、金銭消費貸借契約が成立しているのであれば、金銭の授受は終了しているはずであって、借主が貸主に「お金を貸せ」などと言う必要もなければ(既に受け取っているはずだから)権利もありません。また、金銭の授受がなされていないのであれば、契約はそもそも成立していないのですから、当事者間に権利・義務は発生しようがありません。

 もっとも、売買契約のように当事者双方に権利・義務が発生することもあります。例えば、売主Aと買主Bとの間で車の売買契約を結んだとしましょう。すると、売主Aは買主Bに対して「代金払え」という権利が、買主Bは売主Aに対して「車を引き渡せ」という権利が発生します。当然、権利が発生している以上、それに対応するものとして、買主Bには「代金を支払う義務」が発生し、売主Aには「車を引き渡す義務」が生じています。

 これを、A又はBのどちらか一方にだけ着目すると同一人に権利と義務が帰属している訳ですが、ここに生じている権利と義務はあくまで相手方の義務と権利に対応しているのであって、Aさんの権利の裏側をめくってみたら義務が書いてあったなどというものではありません。あくまで、権利は相手方の義務とセットで存在し、義務は相手方の権利とセットで存在しているのです。

 売主Aさんは、車を引き渡さなくても「代金払え」と請求できます。素直に、買主Bさんが代金を払えばそれでその権利は履行されて消滅します。後は、買主Bの「車を引き渡せ」という権利に対応した売主Aの「車を引き渡す義務」が残るだけです。

 もっとも、Aが「金払え」と請求してきたときには、Bは「車の引き渡しと引き換えでなければ払わない」と拒否することも可能です(同時履行の抗弁権と言います)。

 自分が相手に権利行使をするのであれば、相手が権利行使してきた時の義務も果たすべきだというのは、言ってみれば道徳・倫理の世界と申しましょうか、その人がこうあるべきであるということを主張しているだけであって、自らの義務を果たさない以上権利行使ができない訳では決してありません。あくまで、権利と義務は対応しているものであって、権利に付随しているものではありません。「権利には義務が伴う」というのは誤用であり、そこで言われていることは「こうあるべきだ」という姿の提示でしかありません。

 先の同時履行の抗弁権についても、Bが拒否した場合、結局Aがお金を貰うためには、車をBに引き渡す義務を履行しなくてはならないのだから「権利には義務が伴うのではないか?」と思われるかもしれませんが、これはあくまで、AがBに権利行使するのと同時にBがAに権利行使をしている(又はAが義務を履行している)だけであって、相手方の権利行使に「対応」して義務の履行をしているに過ぎません。

 Aに帰属している権利と義務は、それ自体が一体化・表裏の関係にあると考えるのは全くの誤りです。相手との関係において存在するに過ぎません。

 そして、権利が発生した後で義務が発生することも、義務を履行した後で権利が発生することもありません。両者は同時に発生するのです。

 なお、文言は多義的なのでその文言にいかなる意義を与えるかによって導かれる見解が相違することがあるのですが、ここでは日常生活における私法上の権利関係を念頭において論じました。

 最後に、相手に対して負っている義務を履行しなくとも権利行使は可能です。但し、相手がそれに応じるか否かは別問題。あなたも同時に義務を履行せよと拒まれることもあるでしょう。でも、相手が権利行使に応じて義務を履行すれば自分は義務を果たさなくても権利行使は完了するのです。その後でその相手が自分に権利行使をしてくることだっていくらでもあります。もし、その時に、相手方の請求に対して義務を果たさなければ、法的には「契約違反(債務不履行)」などの法的責任を追及される可能性がありますし、道徳的・倫理的には、「義務も果たせよ」という非難が可能でしょう。

 本来、法的概念である権利・義務を道徳的非難と混同してはいけません。なぜなら、「権利には義務が伴う」などという誤用あるいは意図的な歪曲は、往々にして権力者が市民的権利行使を阻止又は萎縮させるために悪用するからです。

尚、私がこの誤用を指摘する趣旨は、先の「人権のはなし」というエントリーにも記載しましたが、ださいさんのblogの『批判するなら対案を」、の似非』に書かれていることと同旨ですのでぜひそちらをご参照下さい。また、「人権のはなし」で紹介したHPの『人権のはなし』『続・人権のはなし』は私の拙文よりも詳細かつ易しく「自由」「責任」「尊厳」について論説されているのでぜひ勉強してください。

 ということで、寝たいのでそろそろ風呂入って寝ます。
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by f-liberal | 2004-05-13 00:14 |
またお知らせ
 今日はもう5月10日(月)ですかあ。時間の流れが早いですなあ。特に、二十歳を過ぎてからは齢を重ねるごとに加速度的に時間の流れが早く感じられるのは俺だけだろうか?

 さて、度々申し上げておりますが、このサイトは私の主たるblogのバックアップ用という位置付けで始めました。ところが、諸般の事情で主たるblogのサーバーが一定の時間帯大変重く繋がりにくくなるため、新規エントリーのこちらへの転載の速度を早めようと考えております。バックアップを取っておきたいエントリーはほぼこちらへ移転させました。また、場合によればこちらに新規エントリーを書くことがあるかもしれません。

 と言うことで、今後ともご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。黄金週間も終わったので、エントリー記載のペースは若干落ちるかと思いますが。
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by f-liberal | 2004-05-10 01:00 | 告知・雑感・その他