徒然に思いついたことを・・・
by f-liberal
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高遠菜穂子さんの講演
先日、イラクで人質となった高遠菜穂子さんの講演会に行ってきた。何日か前に、ヨルダンだかどこだかから帰国したとのことだった。

 だいぶ元気になったみたいだね。

 講演の冒頭に、「いろいろとご迷惑やご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」みたいなことを言っていたけど、別に俺達に迷惑かけた訳でもないから形式とはいえ謝らなくてもいいのにと思ったのだが。まあ、クズ野郎達のイジメにあって精神的にこたえたこともあって、ああいう挨拶をしているんだろうね。

 講演内容の紹介はメモも取っていないので、省略。現地で取材したVHRや写真を紹介しながらの報告だったけど、イラクは益々ひどい状態になっているようだな。自衛隊を派兵した日本に対する感情は非常に悪化していて、日本政府の決定と個々の日本人の意思とは別個であるということを長々説明しないと分かってくれないと言っていたな。
 以前は、日本人と見れば気軽に話しかけてくれたりしていた人々が最近では無視するようになっているとのこと。
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by f-liberal | 2005-01-28 01:35 | 告知・雑感・その他
品がないのはどっちだ!
http://sports.yahoo.co.jp/fc/sumo/

 こいつはどうにも朝青龍が気に入らないようだな。個人的な感情に基づいて難癖を付けているようで全く見苦しい。

内館委員(脚本家)は千秋楽で史上最多44本の懸賞金を束ねたヒモをつまむようにして受け取ったことを疑問視。「酔っぱらいがすし折りを持つようなことは困る。強ければいいってもんじゃない。品格も大事」と苦言を呈した。


 と報道されている。

 あの大量の懸賞金の束、それも一束では結びきれず二束で結んだものをどうやって受け取れというのだろうか。二つの束を結んであれば、指を掛けられる結び目を持つのが自然だろう。あの大量の懸賞金の品格のある受け取り方というものを自ら実践し、例示してもらいたいものだ。

 それから、こいつ大相撲の何日目かに土俵下の席で観戦していたな。力士が塩を取りに行く際にちょうどカメラの角度でこいつが座っている場所が映像に映る。なんと、横綱の品格をさんざん問いただすこいつは、カメラの方向へ向けて何度も手を振っていた。お前、誰に向かって手を振ってんだよ。携帯電話で通話しながら、「私、今、映っているでしょ~~。」とか言ってカメラ方向に手を振っている奴らと同じだな。

 こんな奴にいつまでも品格品格と難癖付けられる朝青龍も気の毒だ。
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by f-liberal | 2005-01-25 00:35 | 気に留めた記事
NHKは論点ずらしに必死-争点は報道の自由と政治的圧力だ-
 安倍晋三議員などがNHKへ圧力をかけたかどうかという問題の争点がずれてきて、NHK対朝日新聞の対決のような構図になっているな。

 今夜の報道ステーションで、堀田力氏がまともなことを言っていた。断っておくが、俺は「ヤメ検」の堀田氏はあまり好きではない。その経歴や過去の発言からして俺の感性とは相容れない部分を多数持っていると感じるからだ。しかしながら、真っ当な発言はそれとして評価する。何も一部を以て全部を否定する必要は全くなく、そうすることは妥当でもないからだ。

 余談はさておき、発言の要旨はこうだ。

 「段々、今回の問題の論点がずれてきていますね。重要な点は、報道の自由ということでしょう。事前であろうが事後であろうが、特定の立場にある政治家が『公正・中立に』と言えば、それは政治家の立場をおもんばかれということでしょう。(NHK)予算の承認も握られている訳ですし。例えば、田中角栄さんを起訴した時に、政治家が検察官に『公正・中立にやれ!』と言ったら、政治家の立場をおもんばかれということになる訳でしょう。」

 全くその通りである。政治家が『公正・中立に』と要請すること自体、その前提として当該事象の内容に立ち入って、その内容が公正・中立でないとの価値判断を為し、政治家の考えるところの公正・中立な内容への改変を意図していることになる。

 安倍氏は自ら「公正・中立にと要請した」ことを認めているのであり、そのこと自体が問題なのである。そのことに気づかない安倍氏も全くナンセンスである訳だが、それを擁護しようとするNHKは何をかいわんやである。

 報道機関としては既に死に体となっているNHKに弁明の方法を教えてやろう。こう言えばいいのだ。

 「政治的な圧力は確かに感じた。しかし、我々は政治的圧力に屈することなく番組内容に改変を加えることは断じてなかった。」と。

 いずれにせよ、NHKに受信料払う価値なし。
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by f-liberal | 2005-01-21 00:33 | 社会
イチゴ
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この時期おいしい果物と言えば、イチゴですな。今日、イチゴ農家をやっている知人から購入。知人割引?330円。ミルクがなくても十分甘いですよ。
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by f-liberal | 2005-01-19 19:26 |
受信料払う価値なし
 自民党の安倍、中川両議員がNHKの放送番組に介入したとの報道を受けて、今夜のNHKニュースで「政治介入なし」との見解を丁寧に流しておりましたわ。

 相変わらず自ら「公正・公平な報道を心がけている」みたいなこと言ってたが、白々しくて見てるこっちが恥ずかしくなるわ。偉い与党政治家にご迷惑をおかけしてはいかんとか、政治介入があった事実が広く知られればまたまた受信料不払いの理由にされかねないとか、そんなことで取り繕おうとしてるんじゃないの?

 まあ、NHKが真に政治権力から独立して報道していると思っている能天気な人は少ないだろうけど、自分のところの会長や与党政治家は守りたいみたいね。守りたいというよりも上からそうするように指示されている、あるいは、NHKそのものが組織防衛体質になっているのかも。そうなると報道機関としても組織としても末期症状だな。

 全く以て受信料支払う価値なし。エビジョンイルが辞めたところで組織改善は無理だな。
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by f-liberal | 2005-01-19 19:23 | 社会
防災対策とは?
 昨日の新聞・テレビは、阪神淡路大震災から10年ということで色々と報道していたな。そんな中で、ごもっともと思うことを言っている人がいた。

 要はこういうこと。

 「世間で防災対策として飲料水や食料の確保とか、懐中電灯を用意しておくとか言うのは、ほとんどが避難生活対策だ。それらは、生き残って避難生活をする際に必要なものであって、そもそも死んでしまったら何にもならない。防災対策というのは、命を守る行為を言うのが本来だろう。阪神淡路大震災で死亡した人達の多くは、家具や建物の倒壊による圧死であって、それらの対策をしなければ防災対策にならない。」

 日本列島、どこで大地震が発生してもおかしくない訳だが、人間というのは自らが体験しないと身につまされないせいか、巨大地震が来ても何となく自分は助かるんじゃないかくらいに思ってしまいがちだな。

 せめて、寝る部屋くらいは自分の周囲に重いものなどを置かないようにしておこう。
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by f-liberal | 2005-01-18 19:26 | 自然環境
「腐った司法に怒り心頭」 中村教授、帰国し批判会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050112-00000178-kyodo-soci

 中村教授も自ら訴訟当事者になることによって日本の「腐った司法(裁判所)」を身をもっって体験することになった。

 日本においては、自らが訴訟の当事者となることは滅多にないであろうし、市町村役場と違って裁判所へ行くということも滅多にないだろう。推測するに、日本人の大多数は1度も裁判所へ足を運んだことがないのではないか。

 そのような状況では裁判や裁判所へ関心を持つということ自体が困難である。そのように多くの日本人が裁判所について無知・無関心であるのをいいことに、最高裁判所を頂点とした司法官僚達は裁判所内部の統制を強化し、市民の権利・利益保護とは逆の国・自治体や大企業などの強い者の利益を優先して憚らない。

 せいぜい、裁判所内部での出世を諦めたり、定年間近でもはや出世や保身を考慮する必要の無くなった裁判官や地方裁判所レベルでまだ裁判官としての良心を保たんとする裁判官がたま~~に、「まともな」判決を出すに過ぎない。どの組織にもありがちなことだが、上へ行けば行く程、上司のご機嫌取りばかりに精を出す腰巾着や人格下劣な者がいるものだ。一般の企業ならまだ害が少ないと言えなくも無いが、「自由の砦」たる裁判所がこれと同様なレベルであることがこの国の悲劇的なところである。

 司法の本来の役割・あるべき姿は別に記事にしようとも思うが、現状の日本の司法は国会・内閣と同様に政治権力の行使機関と言っても過言ではないだろう。勿論、国会・内閣のように積極的に政治権力を行使している訳ではないが、政治権力そのものである国会・内閣の行為を中立・公正を「装って」追認している分、最もタチの悪い権力機関と言えなくも無い。

 これをどう改善するのか・・・。難儀な課題だ。
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by f-liberal | 2005-01-13 18:21 | 社会
事実婚における子の氏
 夫婦の氏に関する民法の改正、すなわち夫婦別姓が未だに実現していない。しかしながら、夫婦別姓への要請は俺の周囲にいるカップルにもあり、彼ら・彼女らは事実婚を選択している。

 年賀状には、当事者夫婦とその子の氏名が記載されているが、子の氏はそのお父さんの氏と同一の場合が多い。

 嫡出でない子(婚姻関係にない男女の間に出生した子)は、母の氏を称するのが原則(民法790条2項)なので、どうやって父の氏を称するようにしたのだろうかと思い、調べてみた。

 その結果、二通りの方法があるようだ。

 ひとつは、ペーパー婚姻・離婚とでもいうべきもの。すなわち、法形式上、婚姻届を提出し法律婚上の夫婦となり、男性(父)の氏に統一し子を出産。出生届けは、当然、当該夫婦の氏(父の氏)を以てなし、後に法形式上、離婚届を提出し女性(母)は復氏するという方法。

 もうひとつは、上記のような便宜的な方法を採らず、家庭裁判所の許可を得て子の氏を母のそれから父のそれへと変更する方法(民法791条)がある。出生時には、子は嫡出でない子の扱いを受けるので出生届け時には母の氏を名乗ることになる。その後に、家庭裁判所に前述の申立をなし、許可を得て、戸籍法の手続きに則って氏を父のそれへと変更するのである。

 子の氏を父又は母のどちらにするかについては当事者夫婦(場合により、その他親族)の話し合いや諸般の事情に基づいて決定されているだろうが、経済的基盤の厚い方(主たる生計維持者)の親の氏に子の氏を統一する傾向にあるのではないかと推察される。俺の知っている事実婚夫婦からの年賀状を見ると、父の氏と子のそれとを統一している場合が多いのだが、母の方が経済的基盤が厚い夫婦も中にはあり、その夫婦の子の氏は母のそれと統一されている。勿論、経済的事情以外の事情を重視して子の氏が決定される場合もあるであろうから一概には言えないが。

 いずれにせよ、夫婦別姓の要請が社会に少なからずあるのであるから、前述のような煩わしい手続きをせずに夫婦別姓を称することが可能となる民法の改正が望まれる。
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by f-liberal | 2005-01-13 18:20 | 法/民法
『あゝこの国では・・・』 song by 新井英一
 新井英一というアーティストがいる。その存在を知ったのは、今から7、8年前のことだろうか。

 知人から彼のライブのチケットを貰ったため、せっかくだからということで聴きに行った。当日貰ったパンフレット上の紹介欄には「ニュース23のエンディング曲に採用」云々と書いてあった。俺はニュース23はあまり見ていなかったので全く知らなかった。

 ところが、ライブを聴いてすっかり気に入ってしまった。その独特の太い声、心の底から絞り出すような叫びのような歌声、魂のこもった歌にすっかりとりつかれ、以後も数年続けてライブを聴きに行ったものだ。

 『清河への道』が彼の最も有名な曲だが、俺はこの『あゝこの国では・・・』も好きだ。歌詞に目を通すだけだと、個々の台詞の解釈の仕方や感じ方によっては違和感を持つ人もいるかもしれないが、曲と共に聴くと何とも言えず、エネルギーを沸き起こされる感じがする。

 この曲に通底する「卑怯な奴らに屈するな、泣き寝入りするな」「強がっている卑怯な奴らに対して弱者であってもキバを向け」という訴えが日本の特に昨今の国情とあいまって心に響くものがある。




あゝこの国では・・・

卑怯な奴らにいじめられたらやりかえせ
自分の命を殺すほどの勇気があるなら
この世に生まれてきたからには生きつづけろ
弱さに甘えていつまでも泣きね入りするな
あ~この国ではそしらぬふりして見ザル聞かザル言わザルの世界
親も学校も近所の人もあてにはするな
助けられるのはお前の勇気と力

弱(やわ)な不良は一人きりじゃなんにもできない
臆病者がハッタリかましてつるんでいるだけさ
奴らが一番恐れる事はただひとつ
弱い人間が本気でキバをむく時
あ~この国では影でコソコソ女、子供を殺す奴がいる
悪の首をうしろからでも締め上げろ
奴らが泣きごと言ってもぜったいはなすな

怖いからってひたすらに自分を殺すな
奴らは影でヘラヘラ笑っているのに
悔しくないのか、悲しくないのかなさけなくないか
自分で死ぬのは人間として一番みじめだ
あ~この国では遠い昔から弱い者をいじめてばかり
二度とさせるな子供たちに同じ事は
大人たちがもすこししっかり生きてゆけ
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by f-liberal | 2005-01-13 18:16 | 音楽
テレビ番組よりも音楽・読書か!??
 今日から仕事始めの会社もあれば、明日からのところもあるようだな。年末年始は結構時間はあったのだが、俺が入っている団体・サークルの機関誌を読む程度で、結局、本は1冊も読まなんだ。

 それはそうと昔と比べ、年末年始のテレビ番組の質が低下してないか。尤も年末年始だけに限った話ではないが。

 質が低下しているというか、年末年始向けに企画し練られた番組が随分と少なくなった印象がある。ドラマその他の再放送の番組が流されていたり、格好だけは着物や袴などの正月風情でも番組内容は通年でやっているものと何ら変わらない番組が多くなっているような感じがするのだが。

 思うに、テレビ業界も年末年始だからといってそれに対応して、時間と金をかけた番組を製作する資金と意欲がなくなっているのではないか。

 まあ、いずれにせよ、見ていても面白い番組にはとんと出会わないな。結局、テレビ番組を見る時間がある時でも、じっくり番組を見ていることは実は少なくて気休めの雑音・雑映像として利用していることが多いんだな、これが。

 冷静に考えると、これは時間を極めて無効に使っている訳で、勿体無いので反省せないかん。そんな無駄に時間を使うくらいなら本当に音楽でも聴きながら読書でもした方が遥かに有益だと思うが、音楽を聴くだけならまだしも読書をするとなるとそれなりのエネルギーを使わなくてはならず、そのエネルギーが不足して、結局、テレビ番組に流れてしまうという事なのだが。

 しかし、テレビ番組があまりにも最近は面白くないし、テレビを見ることによって却ってストレスが溜まるようなことすらあるので、今年は本当に見たいと思う番組以外は極力テレビをつけないようにしようと思う。

 1日の中で自由に使える時間は、リラクゼーション効果の期待できる好きな音楽をかけながら、本を読もう。本をじっくりと読み続けられる気力・体力の回復も同時にせないかんけどな。

 学生時代に、テレビがなく専らラジオや音楽を部屋でかけて過ごしていた友人の影響を受けて、俺も学生時代の一時期、テレビをつけずにラジオや音楽を聴きながら本を読んで過ごしていたことがあった。その時は、随分とゆったりとした気持ちになって、こういう過ごし方もいいなあ思ったものだ。

 その後は結局、無為にテレビをつけてしまう生活へ戻ってしまったが、今年はそんな生活をちょっと変えてみようと思いますわ。
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by f-liberal | 2005-01-05 16:14 | 告知・雑感・その他