徒然に思いついたことを・・・
by f-liberal
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転載紹介 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの
転載紹介 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの

 華氏451度さんからトラックバックを頂戴した。当該記事の内容に対する意見は措いておいて、とりあえず、「拠らしむべし、知らしむべからず」に関する論考を転載し、紹介する。

 「拠らしむべし、知らしむべからず」の誤った語法が意味するもの

 
 新聞をはじめ多くの人(緻密な調査をする司馬遼太郎ほどの人ですら)は、上記の言葉を次のような意味で使っている。「お上(政府)は本当のことを隠して、政府官僚が決めたことを人民に押しつけ従わせている」と。厚生省の薬害エイズ事件、最近の過大請求返還にかかる不正減額(背任)で防衛庁ぐるみの関係資料隠しなどの事件があると、決まってこの言葉が浮上する。しかし実は、この語法は完全な誤りである。

「論語」泰伯篇にあるこの言葉の正しい意味について、沢登先生に調べてもらい真意味をお聞きした。

   民可使由之   民ハ之ニ由ラ使ム可シ
   不可使知之   之ヲ知ラ使ム可カラズ

「之」とは、「王者設教(為政者が人民に示す教え)」(鄭玄の古注)、「理之当然」(朱子<朱熹>の新注)、「政教」(安井衡<息軒> の集注の案)、「礼法」(服部宇之吉の校訂)、「政治・法律」(同人の訳注)などと書かれているが、孔子が「為政者の務めは『仁』即ち一般意思を理念として礼法を定め政治を行って人民を教え導くに在る」と言っているのだから、「之」とは「仁」を指すと考えるべきだろう。いずれにせよ、各注のどれを見ても、仁(もしくは政教、礼法など)を「知らせる(明確に認識させる=自覚させる)」ことは不可能だが、「由(よ)らしめる(知らず知らずそれを踏み行うようにさせる)」ことはできるということである、としている。

 また、程子(程頤)は、「聖人は教えを設けるに際し、人をして家ごとに喩(さと) り、戸ごとに暁(あきらか)なることを欲しないわけではないが、現実にはなかなかそうは行かなくて、ただ教えに由らしめることができるだけだ。もし聖人が人民に知らせないのだと言うならば、これは後世の『朝四暮三之術(*)』である。どうして聖人の心であろうか」と述べている。

 誤った語法は「由」を「拠」とし、「可・不可」を「可能」の意味ではなく「命令」の意味と誤訳したためであるが、そのような誤訳をした背景には、市民社会の形成と民主主義の成熟が不十分な日本社会にあって、官僚政治支配に対する貧困な批判精神と変革実践の怠慢という自分たちの限界を直視しようとせず、この語を誤って使用することによって社会を嘆息してみせ、自らを慰めることに終始してきたという事情があるのではないか。

 宇宙超出学に当てはめて言うならば、「この思想の根本義をすべての人一人ひとりに深く理解してもらうことは不可能だが、この思想に基づいて法政経済の仕組み(政)と倫理宗教(教)を改革することにより、知らず知らずのうちに人々がこの思想の意とするところを実践するようになってもらうことは可能だ」ということになるかも知れない。

(*)朝四暮三之術:宗の狙公が猿の食餌を制限しようとして「栃の実を朝三つ暮れに四つやろう」と言って猿を怒らせた後に、「では朝四つ暮れに三つやろう」と言って猿を喜ばせた、という話から、詐術を用いて人を己の意に従わせる権謀術数のこと。

出典:高見優著、宇宙超出第9号、1998年10月15日、宇宙超出学会発行
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by f-liberal | 2006-03-17 00:09 | 社会
裁判は茶番でいいはずがない
裁判は茶番でいいはずがない

http://www.miyazakimanabu.com/judicial/000170.php

 宮崎学御大の言に全く賛同するものである。
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by f-liberal | 2006-03-15 14:23 |